1. 「この問題がわからないんですけど…」という質問の仕方をよくする。
    特に数学というのは、自分で考える癖をつけていないと、いくらたくさん問題を解いても無駄です。ちょっと形式が変わっただけで、手が出なくなります。

    したがって、自分で理解できる所までは理解しようとする姿勢があるかないかで、後々の数学力に大きく影響します。

    【この問題がわかりません】というのは、自分でどこまで理解できて、どこから分からないのか。その分析すらも放棄して、他人に全て解決して貰おうという他力本願の極みであるという事です。

    何が分かっていて、何がわからないのかを明確にするということは、質問する前に最低限しておかないといけないことです。

    言葉の意味を確認しておくことなどもそうで、それらは教科書に記載されているので、自分で調べる事ができます。

    それすらサボっているというのは、学ぶためのスタートラインにも立てていません。自分で調べられることは調べる。どこまでわかってるのか、何がわかっていないのかを明確にする。当り前のことです。
  2. 解き方だけ分かって満足する
    質問をしたとき、考え方を聞いた後で「分かりました!」と言って、解き方だけ「分かって」いても何故その解法に至ったのか・どうしてその解法で答えが求まるのかは「分かって」おらず、かつそこに興味も無く、ただ「問題が解ければ良し」と”解き方”だけをひたすらストックしちゃう人ですね。

    こういう人は自分で頭を使って考えを深めたりすることをめんどくさがっているので、特にある程度のラインからは必ず伸び悩むようになります。
  3. 「わかった」と答えるが、分かった事をその場で説明出来ない。
    個別指導などで質問を受け、その内容を説明するとき、伸び悩む人はこちらの説明をサーっと、何も質問もなく、メモもせずに聞き、こちらが「本当にわかったの?」と聞くと(本来はこの聞き方はあまり良くないとされていますが、後述の流れに持っていくために、あえてこう聞きます)、「わかった」と言います。

    僕はそういう時、必ず「じゃあ今の説明、今度は君がしてみて」と逆質問するわけですが、そうすると皆黙ってしまうか、まったく的外れなことをいうかのどちらかに分かれるので、「わかってないじゃん」となるわけです。

    一方、伸びる人は、内容を説明するとき、メモをとったり、その場で考えるために「ちょっと待ってください」という言葉や、自分で納得してから前に進むため、そうでないときは「今のところもう一回説明お願いします」という言葉が自発的に出てきます。

    おそらくこれも受け身かどうかなんでしょうね。わからないことを貪欲に吸収し、自分のものにしてやろうという姿勢があるかどうか。ここの差でしょうね。

    結局、受け身を脱却できるかどうかです。
  4. 間違いを指摘されたとき、その箇所を全て消そうとする。
    これは、〜メンタル・性格編〜の2.に通ずるところがあります。間違いは成長のために必要不可欠なものです。それを何故消してしまうのかが理解できない。おそらく、間違いは良くないもの、恥ずかしいものという考えからでしょうが、まずその考え方を改めた方が良いでしょうね。

    間違うことはいいんです。間違わないと、自分に何が足りないのかが見えませんからね。真に問題なのは、そこから何も学ばずに同じ過ちを繰り返すことです。間違いに学ぶ、これが大事です。

    問題を解けなかったという状態は、途中で止まるか、できたと思っていたのに間違っていたか、いずれかでしょう。そこでどのようにするかが大切で、×を入れてそのままにしたり、模範解答を見てなるほどと思い,それで自分の方法を捨ててしまう人が多いです。しかしそれでは問題演習をする意味が全くありません。

    ①この問題を解くのに、自分の用いた方法でも可能だが、複雑で、その結果間違ったり途中で止まった。
    ②自分の用いた方法では、この問題を解くことはできない。

    このいずれかです。どちらだったのか必ず確認しなければなりせん。不可能ではないのなら、その方法で最後までやってみる。間違った箇所は、それのどこがどういう理由で間違いなのか、正しい考え方はどうなるのかを書く。不可能なら、なぜできない方法なのか、その理由を分析ノートに書く。自分の方法でできるのかどうかわからないときもあるでしょう。そのときは必ず人に聞くことです。こうして間違いからから教訓を引き出す。必ずケリをつけるという、これが力をつける勉強法の極意です。消してしまっては、上のことができませんよね。
  5. ノートの板書ミスが多い(先生の言うことや板書の内容を鵜呑みにする)
    これも結局受け身であることに起因していることが多いです。

    見てきた生徒でもいましたね。

    例えば、板書の数式の中でhという文字が出てきていたときに、それを途中でnと見間違えて、間違いと気付かずそのままnと書いている子。勿論nという文字はそれまで一切出てきていないんですよ?自分で板書内容が本当に正しいかを考えてノートを取っている子はすぐ間違いだと気付んですが、疑いもせず、考えもせず、ただ鵜呑みして板書を写しているだけの人はこういったことすら気付かないわけです。

    あと、僕が伝えた内容を混同した結果、「絶対値が負」というおバカな数式を書いた子もいましたね。自分で書いててこれはさすがにおかしいと思わないのかな?と僕なんかは不思議でしょうがないのですが、こういう子達というのは「先生がそう言ったのだから(言ってないんですけど)、そうに違いない」という思考なのです。

    学問では批判精神は極めて大事です。正しさは権威ではなく論理性が保証するものです。

    よって、必ず自分の頭で何故そうなるのかを考え、理由が明確にわかったものをノートにまとめるのです。板書や教科書の内容を自分で批判的に捉えず、論理的に正しいかを確認もせず、ただ写しているうちは永遠に受け身ですし、当然成績も伸びにくいでしょう。
  6. 疑問点が少ない、質問がほとんど無い
    質問がないと聞くと、理解しているからだろうと思うかもしれませんが、物事は知れば知るほどに質問が出てきます。

    質問がないということはその物事を深く知らないからです。問題集1周解いても一切質問はないと言い張る共通テスト模試5割の高3がこの世にはたくさん存在していますね。

    なぜ質問がないのか聞いてみると、解答見たらわかるからですって。で、解いた跡や解説書を見てみると、まぁ綺麗なこと。問題を解いて答えが合ってるかを確認したり、解説を何となく読むだけで、それはそういうものとしか見ておらず、なぜそうなるのかを見ていないんです。

    だから質問もないんです。そして、こちらが少しつっこんで逆質問してみると、見事に全く答えられないんです。

    「そういうものだから」という理由になるものは世のなかにそんなに多くはありません。

    実数aについて0×a=0となることですら解説はできますし、「ヤモリ」という名前がついていることすらも解説できますし、なぜ空が青いのかも解説できます。

    世の中にあるほとんどのものは、ほぼ全て理屈があるんです。その理屈を見ようとしないで、答えを見て分かった気になることが多いから質問が出てこないんです。

    で、その理屈をとらえているかどうかっていうのが解いた問題であったりとか、使ってる解説書を見ればわかるんです。

    何もチェックしていないし、何も書き足していない。

    例えば、「次の選択肢から正しいものを選びなさい」という問題はよくあると思いますが、その正しいものが正しい理由だけ見て、正しくないとされる選択肢を見ていないんです。

    正しくないとされるところには沢山のお宝があります。ひっかけようとして作った選択肢なんです。どうやって生徒をひっかけようとしているかがそこには詰まっている。

    それを解説を読んだり、自分で教科書を調べたりして一つ一つ見ていくんですよ。

    で、間違ったとされるところにチェックを入れて何故それが間違いなのかという理由や、正しい情報、それに至るための思考過程、そこで出てきた疑問を書き込むんです。

    その形跡がないということは勉強していないのと同じです。

    何故正しいのか?何故間違ってるのか?何故こうなるんだろう?なぜ?なぜ?なぜ?問い続けるんです。そうやって深く追求しているうちに質問も出てきます。

    これに慣れていない人は最初はめんどくさいと感じるでしょうね。でも、めんどくさいという思考を律して、そのめんどくさいことを地道にやれば必ず点数は上がるんです。

    めんどくさいことを避けているうちは点数は上がりません。

    絶対にです。
  7. 勉強的なものに興味がない
    雑談や周辺知識には興味なし。試験に出ないことは無駄。こういう思考の人ですね。

    こういう人は、世の中の出来事や現象ではもちろんのこと、教科内容でも知識欲や知的欲求がかき立てられることはありません。残念ながら頭の向き方が勉強の存立基盤と真反対なんですよね。

    勉強のモチベーションも上がりにくく、無駄と切り捨てたことが、点として散らばっている知識を有機的に繋げるきっかけになるとも思わず、日常にものを考えるためのきっかけが転がっているとも思わない。

    それで伸びると思ってるのがすごいです。
  8. 『どうしてそうなるの?』と聞くと自分の書いているものを消そうとする。 
    こういう人よくいますけど、二重の意味で間違いですね。

    第1に、こちらは単に論理が聞きたいから質問したのであって、間違えているから指摘しているわけではないことも多いです。それが結果的に正解でも誤答でも、論理がつながってないように見えれば、こちらも何故そうなるか一見しただけではわからないので、どう考えたのかを知るために質問するものなんです。

    第2に、たいていの場合は間違ってないのですが、もしも間違っていたとしたら、「じゃあ、どこで間違ったのか?」を探すことも大事な勉強なのに、全部消してしまったらそれができなくなってしまいます。これはコミュニケーション編 4.と同じですね。

分析なくして成長なし、です。

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小野桂史
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