久しぶりの投稿になります。最近は(再び)テキスト編集に追われていてブログやSNSの更新が全くできていませんでした。やっとそれがひと段落着いたので、今日は以前から自分が非常に問題視していることについて意見を書きたいと思い、記事を更新している次第です。
さて、その内容というのが、いわゆる「はじき(みはじ)、くもわ問題」というものです。この言葉を見て、頭に?マークが浮かんだ方は正常な反応ですのでどうぞご安心ください(笑)冒頭のテーマには「中高生の学習観を憂う」とありますが、実は小学生の時に習う「比」の教え方に端を発しているのです。実は、これはわりかし身近な問題でもあります。数年前に僕が働いていた、延岡ではよく名の知られた学習塾でも、高校生相手にこの教え方をやっていました(高校生で比の扱いが苦手というので、わざわざ僕が比の概念から丁寧に説明していたところに、その塾のとある講師が強引に割って入って始めたのがこの「はじき」の説明だったのです(笑))。この問題に関しては様々なところで議論がなされており、身近にはなんと大学入試の小論文の題材にもなっています。以下の引用文は、2022年度富山大学文系後期の小論文の問題から一部を抜粋したものになります。
「はじき」とは、速さ、時間、距離のうち二つを示し、もう一つを計算で求める問題を解くための図のことであり、速さの「は」、時間の「じ」、距離の「き」の頭文字で、文章問題の数を図に当てはめれば、答えを導く式がわかる。これらの図を使った教え方について、先月、学習塾「明光義塾宇土教室」(熊本県宇土市)がツイッター上で「これらこそが,子どもをダメにする要因の一つであると私は考えています」などとつぶやいたところ,議論が沸騰した。
同教室は「両者とも『割合とは何なのか』『速さとは何なのか』を理解せずとも,ただ答えを出すことを可能にしてくれる道具」「『ただ点数を取れれば何でもいい』そんな教育を学校で行うべきではない」などと指摘。これに対し,「せっかく覚えやすく視覚化しているものを禁止しても余計に分からなくなる子が増えるだけ」「この図には何度も助けられた」などと反論が寄せられた。議論の発端となった同教室の松井章太教室長は「はじき式の指導で,子どもが算数や数学を『公式を覚えて数字を当てはめるもの』と捉えてしまう弊害を伝えたかった。この考えが染み付いた子は,小学段階では百点を取れるが,中学になるとすぐにつまずく」と説明する。中高の数学では公式に数字を当てはめれば一発で答えが出る問題は少ないといい,「筋道を立てて考えられず,解ける問題の幅を狭める」と憂える。
(2022年富山大学文系後期小論文より)
皆さんはこの記事を読んでどう思いますか?結局は、どう子供を育てたいか、どのような力を子供につけてあげたいのかという問題だと思います。
納得して理解し応用がきくように育てたいのか?
理屈は分からなくても覚えて丸が貰えるように育てたいのか?
桂塾としてはもちろん前者です。
「せっかく覚えやすく視覚化しているものを禁止しても余計に分からなくなる子が増える」
まず、この反対意見、子どもの力を全くもって信じていないし、分かるとはどういうことか、理解するにはどうすればいいのか、方法論も頭の使い方も要点も全く分からない人の発言だと思います。単に教えられた通りにすれば点数がとれるような方法ではなく、まずは子ども達がしっかりと概念を理解できるような指導方法を検討したほうがよいでしょう。余計に分からなくなる子を増やしてしまう教育を行っていることに早く気が付いてほしいものです。なお、数学が苦手な子でも一から基礎概念と考え方、そして数学の問題への取り組み方を説明してあげれば、教科書傍用問題集程度ならすぐに自分一人で解けるようになることは今まで何人も見てきています。
「この図には何度も助けられた」
もし自分で筋道を立てて考えることができないなら、こういう道具に頼るしか道がないということです。概念が理解できていなくとも簡単な校内テストでは一応点数はとれますから体裁はつくろえます。しかし考える力、応用力がなければ、数学すら暗記科目になってしまう、高校数学・大学での専門的な内容が全く分からず、テストは解答や過去問、解法パターンを全て暗記という方法で乗り切るようになるのは目に見えています。
僕はもう教える仕事を始めて割と長くなりますが、この「数学とは、公式を覚えて数字を当てはめるもの」という学習観にとらわれてしまっている子を非常に多く観測してきました。あと、これ以外に多いのは「先生が言ったとおりのやり方でないと正しくない、解法は一通りだけ」といった価値観を持つ子です。これはおそらく小さいとき(小学校~中学校1、2年)に学校や塾から植え付けられてしまった間違った学習観であり、いづれも由々しき問題であると思います。
この「はじき」に限らずですが、「理解を伴わない、しかし問題は解けてしまう表面的で浅いやり方」を擁護する方の主張として「理屈は後でもいい。まずは問題を解けるようになることが大事」というものがありますが(延岡の某塾の代表はまさにこの意見の持ち主でしたw)、僕はこれには非常に懐疑的で、「問題が解けてマルをもらえれば、よほどの向学心がない限り、後から理屈を考えることはしないのではないか?そして本当に向学心のある子ならば他人に言われずとも根本の理屈を理解しようと自分で試行錯誤し、その概念を押さえる勉強をする。対偶をとると、そのような勉強をしない、学びの本質から逸れた『表面的なやり方・解き方』を覚えようとする子は向学心に欠けた子が多いのではないか?つまり、このような浅い表面的なやり方を、概念を理解しようとする労力を避けてそのまま鵜呑みにしてしまう子は向学心に欠けている子が多く、その子たちは後から理屈を押さえるようなことはしないだろう」と思っているのです。そして、実際に塾で働いて何年も観測している限りでは、これは実際正しいようだというのが僕の感想です。また、「よほどの向学心がない限り、後から理屈を考えることはしない」という部分にも問題があります。今まで理屈や概念の説明が雑で、解き方が強調されるがゆえに概念や理屈はよくわからないが、解き方を覚えてきた、言われた以外のやり方ではダメだ・間違いだといわれてきたという非常にいびつな学習観を植え付けられたまま数学を学習してきた子たちが果たして向上心を持てるだろうか?という事です。つまり、もともとはあまり数学が得意でないような生徒さんたちがこのような向学心を持てないような愚かな教育をしているのが問題であるといいたいのです。
そもそも算数や数学の面白さは、図形や数字の背後に隠された法則・規則性を発見し触れること、自由に発想し、正しい思考・理屈を積み重ねれば必ずどういう風に考えても正しい答えに行きつくことができる、その自由さにあります。僕の作成している数学のテキストの冒頭にも必ず書くようにしていますが、偉い学者や学校の先生が言っているから、教科書に書いてあるから正しいのではなく、紙と鉛筆があれば自分で正しいかどうかを客観的に検証できる。そのような学習観を持ってほしいし、そもそもそれを教えるのが本来の目的なのでは?というのが僕の意見です。そして、思考は習慣である以上、小さいときからこのような間違った学習観を植え付けられたまま成長してしまうと、高校生のときに修正しようと思っても中々難しいというのが実状です。なるべくなら小さいときから生徒さんがこのような正しい学習観をもった先生や講師に出会えると良いのですが、最近は教師の質の低下問題もあり、これも中々難しくなってきています。
そんなこんなで、自分が日頃から自塾の生徒さんに伝えている正しい学習観をここでも少しづつ発信していこうかなと思っています。上にも書きましたが、思考は習慣なので、小さいうちから正しい学習観を持って学ぶことが大事です。生徒さんでこれを見ている方がおられたら、上に挙げたようなダメな学習をしないように気を付けてください。保護者の方でお子さんの学習の仕方に不安がある方は是非桂塾に面談にいらしてください。
ではまた。