数学とは一体どういう学問なのかということに対する一つの答えが、一見して全く違うものを同じとみなす学問だということです。
19世紀に活躍した数学者・ポアンカレは、「数学とは異なるものを同じと見なす技術である」とまで言っています。
そもそも数学は、違うものを同じと見なすことで誕生したといわれています。
例えば、リンゴが3つと、杭に3回まかれたロープ。
この二つは全く異なるものです。
しかし人類は、歴史が始まるはるか前に、この二つに「全く同じだ」と思える共通点を見つけ出しました。
「3」という抽象的な概念の発見です。
数学はこうして始まったと考えられているのです。
ポアンカレの言葉は、抽象化して物事を捉えることが数学であるということを言っているのです。
つまり、出自が異なるのにも関わらず類似点が見られる対象を、同じものだとみなすという方法を与えるのが数学だという意味です。
例えば、4人いて3人来て何人になったか?ということと、4歩進んでさらに3歩進んだら最初の地点から何歩進んだことになるか?
これらを、同じものだと認識し、処理できる能力を鍛えるのが数学なのです。
一方、”算数教育の専門家”は、同じものすら異なるものだと生徒に教え込んでいるわけです。
「5+2の意味は5人いるところに2人来たであって、2人いるところに5人来たのではない。つまり、5+2と2+5は違う。3.1+5.9=9.0は減点。直方体の体積(縦5cm×横8cm×高さ3cm)は縦×横×高さだと教えるので、高さ×横×縦(3×8×5)で計算したものは減点。4cm÷5mm=8は間違っている…」
小学校じゃこんなウソ出鱈目を教えてるのか!?にわかには信じがたい…と思った方もいらっしゃるでしょう?
これ、全部本当に教えられていることです(幸いにして、延岡ではまだこのような指導がなされているという話はまだ聞いたことがありませんが)。
https://gendai.media/articles/-/77978
https://gendai.media/articles/-/92185?imp=0
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/25151298/
数学的には「2 + 5 と 5 + 2が等しい」「どのような順番で掛けても答えは等しい」ということに意味があるのであって、数式が状況を記述しているのではないのです。
このような、「教師のマイルール」を押し付け、数学の本質からそれた指導が行われているのは、以下の記事にもあるように小中学校の教員の質の低下、つまり学力不足に原因があります。
日本の教員養成系は元々国公立大でも他学部に比べて学力が低く、今はもう崩壊しています。
共通テストで6割弱でも合格だとか、教員採用試験で高校生でも満点取りそうな問題を半分で合格とかそういう話ですね。
結局、教える側が数学をちゃんと理解していないのです。
数学を学問としてしっかりと学んで理解していれば、こんなアホなことは言うはずがない。
教員養成系は、学部でもう少しまともなことを教えるべきですね。
学問の内容を理解せず、本質からかけ離れた妙なことばかりやっている人達が教育にたずさわると、悲惨な結果になるのは今の現状を見ればすぐにわかることです。
せめて、ちゃんと高校内容レベルの数学はしっかりと理解できるくらいの学力がなければ、人にものを教える立場にはついてはいけないでしょう。
まず、そこが最低ラインですよ。
数学は自然科学の基盤となる学問です。
数学の学力が低ければ、国の科学力は後退の一途を辿ることになります。
それを防ぐためには本当に学問を理解している人たちが教育に関わり、子どもたちが大らかに自由に、そして、正しく学べる環境を作らなければならない。
そのためには教員養成の制度改革や、待遇改善による優秀な人材の確保を早急に行わなければならない。
現状を見れば自明だと思うのですが…全く進んでいないので困ったものなのです。