まず、課題について。面白いニュースを見つけました。三重県の四日市高校で課題を減らした方が大学合格実績が上がったそうです。

こちらはそのニュースです。

https://www.chunichi.co.jp/article/600766

高校に行って、課題や小テストに時間を取られて自分のやるべき勉強が出来ていない生徒がたくさんいます。

まさに本末転倒です。

そもそも生徒の学力に差があるのに、一律に同じ課題を出したりすることがおかしいわけです。

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/sukusuku.tokyo-np.co.jp/education/62347/%3Famp%3D1%26usqp%3Dmq331AQGsAEggAID

それなのに高校は塾に行く必要がないという。たいしたことない高校ほどに塾は不要だと言います。

間違ってるんですよね。矛先が。

塾も高校も目指しているのは大学合格という同じ目的なはずです。それは中学校も同じです。目指しているのは生徒の第一志望合格なんです。

全く同じ目標に向かっているのに、学校だけで行けるから塾は不要です。というのは違いますよね。

話がそれましたが、課題はないほうがいいんです。

とはいえ、先生方も毎学期成績表をつけなければいけませんから、『今日の1題』のように、必要最低限の量を出せば良いのではないでしょうか?また、課題がないことをいい事にさぼる生徒もいるので、量を出すという言い分も分からないこともありません。

とはいえ、大学はそもそも自分で勉強しないと合格は不可能です。

だから課題は評価のための必要最低限にして、本当に合格できる人だけ合格していったらよいのだと思います。

課題がないからとさぼる生徒はそもそも論大学いけませんから。

1,2年生の時に課題で何とか無理やり勉強して、3年生になった時に受験モードにってなりませんから。2年間もしみついた受け身根性が3年生になって急に能動的になるわけないでしょうに。

それともう一つ。課外について。

九州には、朝課外というものがありますよね。延岡の皆さんはビックリするかもしれませんが、そもそもこれ、九州外ではこんなものないんです。実際、僕は京都の大学に通っていたわけですが、九州外の学生は「朝課外」という概念自体知りませんでした。0限というパワーワードに驚いてましたね。

これに関しては最近やっとニュースに取り上げられたりして、その異常性が認知されるようになってきてはいますが、少なくとも延岡では依然として、課外の嵐が吹き荒れているわけです。

https://373news.com/_news/storyid/166697/

https://www.trend-lab.studyplus.jp/post/20230329

これの何が悪いかというと、生徒たちが慢性的な睡眠不足に陥っていることです。当たり前ですよね?課題が多く、寝る時間が遅い(生徒に聞くと、その子は寝る時間が3時前後と言っていたので、極めて深刻なのはお分かりでしょう。)上に、朝は7時半スタートなわけです。家が遠い人だと、5時台に起きないと間に合わないんですね。一体、いつ寝るんでしょうか?

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20221109/amp/k10013880711000.html%3Fusqp%3Dmq331AQGsAEggAID

睡眠不足による心身への悪影響はよく知られているはずですが、旧態依然としてこの愚かな制度を続けているわけです。

とまぁ、課外に反対すると、

『中位・下位の生徒にはありがたいんだ。上位層の生徒たちは放っておいても自分で勉強するし、何が必要かもわかっているが、中・下層は強制されないと勉強しない者が多く、課外で勉強量が増えるから、それが「底上げ」につながっている』という反論を述べられる人もいます。

僕はこれに関して甚だ疑問なのですが、果たして本当に底上げにつながっているんですかね?

朝課外など、そういう生徒は寝ぼけまなこだったり、実際に寝ていたりすることが多いと聞いているからです。頑張って起きている子たちも、疲れているから頭は働いていないのです。たとえば、2018年九州大学の英語入試問題第2問に、「睡眠不足の害」を説く英文が出ていて、面白いのは睡眠時間を6時間に限定して、軽度の睡眠不足状態にすると、本人たちはperfectly wellだと思っているが、実際はIQテストなどの成績も下がって、明白な機能低下が認められる、とあったことです。難易度も平易なので、学校は朝課外でこれを教材に使用してみるのはいかがですか?

とまぁ、生徒側からしてみれば良いことなんて一つもないわけです。それどころか、仮に朝課外がなくなれば、先生たちにとってもプラスなのではありませんか?

朝課外が廃止され、部活も無理のないものになって、宿題も必要最小限度のものになったとしましょう。それによって生徒はゆとりを回復し、自分のやりたい勉強ができるようになるので、基礎が不安な生徒は十分な復習をして、学力の底上げができるようになり、上位層は応用力を伸ばして、受験の際には過去問対策も万全で臨める、という状態にもっていけるのです。

先生方も自己研鑽に励む時間ができ、学科指導能力を高め、平常授業の質をアップし、大学入試問題も研究できて、もう少し効果的な受験指導ができるようになるでしょう。生徒に「教科書読み上げ機」なんて不名誉なあだ名をつけられている先生も、課外がなくなった余力を活用して勉強に励み、汚名挽回を果たすことができるというものです。

課題と課外、早くやめませんか?

変わらないといけないのは生徒たちだけではなく、学校や先生方もですよ?「今までやってたから」というのは伝統を言い訳にした思考停止です。宮崎県の高校の中には、こうしたことにきちんと気が付いて改善している高校もあります。こちらの記事は、受験産業ベネッセのVIEWS21、2013年2月号に取り上げられた宮崎大宮高校に関する記事です。

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非常に興味深い記事なので、課題や課外だのを増やして、物量作戦と管理主義に頼りがちな学校の先生、その“被害”に遭っている生徒たち、双方にとって得るところの多い記事だろうと思います。延岡の二つの県立普通科高校の生徒や保護者たちはとくに、「なるほど…」と感じることが多いのではありませんか?

「宮崎県では、伝統的に圧倒的な量を課して生徒の学力を伸ばしてきました。朝課外や日々課題はもちろん、徹底的に量を与えることが、教科担任の力量であるという雰囲気さえありました。学区制廃止後も出来る限りの指導をしてきましたが、それは量に頼った指導の延長でした」

しかし、県立宮崎大宮高校の先生方は、「それが果たして正しいのか?」という疑問を抱いたのです。素質のいい生徒が多く入学してくるにもかかわらず、「入学時の学力の割には実績は伸びず、3年生後半から模試の成績が急落する傾向」も続いていたからです。

「生徒にとって教師から与えられた課題だけが勉強になってしまい、主体的に学ぶ習慣も能力も育っていないことが、学力の伸び悩みの原因ではないかと考えました。受動的な学習態度が固定化し、本来は『行くべき大学』を目指すべきところを、多くの生徒が『行ける大学』に進む結果になっていたのです」

これは大宮高校だけでなく、宮崎県の県立普通科高校すべてに、程度の差こそあれ当てはまることなのではないかと思います(宮崎県は難関大学への進学者が最も少ない県の一つです)。そしてそれは、上で指摘している通り「あたりまえ」の話なのです。

過剰な管理が有害であることの理由の一つは、管理される側が、その管理に依存してしまうようになることです。だから受験学年になっても、いちいち学校に指示を仰ぐ。ああしろ、これをやれと事細かに指示されないと、途方に暮れるのです。先生たちはそうやって依存されるのは「頼りにされている証(あかし)」だと喜ぶかも知れませんが、大学受験は今の時代、早めの「成人式」みたいなもので、若者の自立をはかる上での一つの大きなステップなのに、その大事な機能が失われるのです。

学校側は本来、生徒の「自分で勝手に勉強する力」の育成を心がけなければなりません。しかし、宮崎県の公立高校は“伝統的”に、その逆の指導をやってきた。そして学校の先生も、生徒たちも、保護者たちも、それを当然のことだと考えて、「宿題は多ければ多いほどいいし、課外授業を多くやってくれるのは親切」だと思い込んで、いたずらに生徒を疲労させ、また、生徒たちの依存心を強化するようなことばかり行なってきたのです。

だから、大宮高校の「改革」は、方向としては間違いなく正しいことだと僕には思われるのですが、「近年、一部で、同校の改革について、『宮崎大宮高校は放任になった』などと言われていることもある」とあるように、過剰管理に慣れすぎた目には、それが「手抜き」や「放任」に見えることさえあるのでしょう。本当は「これだけ量をやらせれば、少しは残るものもあるだろう」とばかり、生徒たちの負担を考えようともせず、宿題・課外を押しつけ、増やし、それでふだんの授業のお粗末さをカバーしようとすることの方がずっと「手抜き」で無責任なことなのですが、深くものを考えようとしない人たちにはそれがわからないのです。

宮崎大宮高校の校是は「自主自律」だそうですが、これはどこの学校の生徒にも大切なことです。わが零細塾の“塾是”も「自分で勉強しなさい」なので、これには僕は大いに共感してしまうのですが、記事にも次のような教務主任の先生の言葉が引用されています。

「生徒の多くは、本校に来れば大学進学は何とかしてもらえるという期待を持って入学します。しかし、未来を切り拓くのは自分です。本校がずっと大切にしてきた自主自律の精神の下、『行ける大学』ではなく『行くべき大学』に挑戦する気概や自ら学ぶ姿勢を育てていくのが、本校の目標です」

これは全く正しい教育方針であると、僕は思います。延岡の高校も、生徒たちの自発性を伸ばし、自学自習能力を高める方向に変化していってくれることを、僕は期待してやみません。そうすれば入試実績においても、大宮高校同様、「結果は後からついてくる」ことになるでしょう。

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小野桂史
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