タイトルが今話題のジブリ作品『君たちはどう生きるか』のオマージュっぽくなりましたが、僕はまだ観ていません。笑

そして、以下の内容も映画と全然関係ありません…

今回は「考える」ための方法について書いてみました。学生さんはよく「考えろ」とは言われると思いますが、では一体どのようにして考えれば良いのか、ということを深く突き詰めている人は、この言葉を発している大人の方にもあまりいないのではないでしょうか。

成績が振るわない子は「考える」方法を知りません。手を動かしてメモや図や表やグラフを作らず、課題を文字にして確認したりもせず、ただ問題文をじっとにらんで、何かすごいアイディアが降ってくるのを待っています。そしてアイディアが降ってこないから自分は頭が良くないと思っていることが非常に多いです。

「考えなさい!」と言われても、「考えろ…考えろ…」と言う言葉が脳内を巡るだけで、算数問題を解く方法、アイディアを全く考えてない。

問題を睨むだけで脳内は何も思考してない。

そうじゃなくて、「考える」というのはもっと具体的で身体的な技術なんですよね。

腕を組んで唸っているだけで良いアイデアが浮べば、誰も苦労しないわけですよ。

そもそも人間の脳の容量じゃ高度な事柄の並行思考なんか難しいので、分かっていないことはどんなことか?分かったことは何か?絵に書いて整理できないか?それは図で表せたりしないか?表にまとめたりできないか?などなど、文章や数式や図や表といった形で色々と手を動かして書き出して、状況を視覚化していかないと、そりゃ上手くいくわけありません。

具体的な教科を考えてみましょう。例えば、数学の文章題が得意な子は、文章を一部分ずつ読み進め、少しずつ絵や図などで情報を整理し、問題文の意味を理解してから解き始めます。

僕なんかもそうです。問題文を1行も読まないうちに図やグラフや絵をどんどん書いていきます。書きながら考える、考えながら書く。やはり真っ先に手が動きますね。抽象的な表現が理解できずに手が少し止まっても、具体的な数字で書き出して実験して規則性を観察したり、何をやっているか、構造はどうなっているかを把握したあとで一般化したり、こういう試行錯誤や考える過程を見てもらうために、僕は数学や物理、化学の授業では問題の予習はしていません。

一方、苦手な子は文章を一気に読んで、いきなり式に変えようとする。こうなると解法を覚えている問題しか対応できないのは明白です。人間大抵そんなに賢くないんですよ。

「困難は分割せよ」「単純(具体)から複雑(抽象・一般)へ」です。こういうのもね。昔の人が方法論をわざわざ本に書いてくれてたりするわけですよ。

デカルトの「方法序説」からの引用です。そういう意味でも読書は良いですよね。自分よりもはるかに賢い知の巨人たちから考え方や頭の使い方を学べますからね。これ以上の教科書はないですよ。

少し話が逸れましたね。

考える方法は上に挙げた通りなのですが、この「考える」邪魔を最もしているのが、「基礎力の不足」なんですよね。

考えるというのは、身体的な動作を通じて記憶から必要な知識や経験を引き出して試行錯誤するものですから、そのための最低限の知識、特に数理科学で言うと、言葉の意味(定義)や議論の出発点(原理・公理)などは正確に覚えている、知っている状態でなければ始まらないわけです。

それがない・もしくは不十分な人は、そもそも問題文の意味がわからなかったり、文はある程度読めても、問題を解くための重大なヒントが目隠しされている状態になっている。だから、分からなくなったり解けなくなるのです。

よって、問題を解いていて途中で手が止まったときは、解法がどうのこうのいうよりもまず、必ず基礎に立ち返って、どこからわからなくなってるかを探してやる必要があります。そして、大抵の原因はここにあります。つまり、言葉の定義が曖昧になっている結果、分からなくなる・解けなくなることが殆どです。

しかし、こういったことを言語化して説明でき、どこに問題があるのかを正確に分析できている指導者は実は殆どいないんです。実際、上のような根本的なことを言われたことのある方がどれだけいますかね?だいたい言われるのは「問題の解き方」の部分ではありませんか?指導者サイドがこういう現状ですから、学生のしこう力が育つことを実現できている塾は、宮崎県では少ないでしょう。

そういう意味でうちの塾は希少価値が高いはずなんですが、、、、

人はまだそんなに集まっていない。笑

まぁ、こういうことを望んでいる親や子供は少ないんでしょうね。

頭を良くしたい(考えるための道具は何か、方法論は何かを学びたい)のではなく、手っ取り早く目の前の定期テストや模試で点が取りたいわけです。

言葉を選ばずに言えば、長期的なことは考えておらず、目先のことしか見えていない、その場しのぎの対処療法をして欲しい人が多いわけです。

ま、たしかにそういう人たちはウチじゃなくて良いですね。そういう表面的なことをやっている学習塾もありますからね。

自分でものも考えられない、じりつ・しこう力も身につかないようなところの何が良いのか、むしろ害になっているのではないのかと僕はそう思うのですが…

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小野桂史
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