皆さんの思う「良い先生」とはどんな先生でしょうか。

できない問題を1つ1つ丁寧に教えてくれる。

分からないところがあるとすぐに手を差し伸べてくれる。

定期テストの過去問などを解かせてくれ、評点を上げてくれる。

生徒や保護者の皆様の多くは、こういった先生を「良い先生」だと思われるはずですね。

実際、こういった姿勢の塾が親切で手厚い、熱心だという「良い」評価をされていることはよく知っています。

 …いやいや、どう考えてもあかんでしょ。

寧ろ、授業が分かりにくかったり、説明しすぎない先生の方が断然良いです。読んでいる人の中には「どういうことだ?」と思う方も多いでしょう。何故、そういう先生の方が良いのでしょうか。

それは、すぐに「解き方」や「やり方」を教えてしまうと、本当の力がつかないからです。つまり、教えすぎ、与えすぎるということは、生徒が自分で考え、判断し、動く機会を奪っているということだからです。

そりゃ、すぐに答えが手に入るんだから、「しこう(思考・試行)」しなくなるに決まってますよ。当然です。考えてなくたって悩んでるふりしてても、すぐに助けてくれるんですもん(笑)

こうやって自分で解決する姿勢が徐々に徐々に失われていった結果、そこに依存し、思考停止してしまうんですよね。自分で頭を使って一生懸命考えたり、自分で動くことはしなくなるわけです。そして受身で、やった事・言われたとおりの事しかできないマニュアル人間が育つわけです。

反論があるという先生はどうぞそのままご自分の信念を貫き、解き方を聞かれた時は丁寧に教え続けてください。ま、入試本番で生徒が困るのは目に見えてますけどね。入試本番に、先生が横で助けてあげることはできないんです。生徒自身の持っているものだけで戦わなきゃいけないんです。

そもそも、教えるのが好きな人はハッキリ言って先生には向いていません。教えるのが好き→本来は生徒が考えるべきで、教えたら意味がなくなるところまで分かりやすく教える→分かりやすくていい先生→先生のドーパミン大量放出という流れは非常によく見られます。

しかし、本来は自分で考えるべきところまで教えてしまったら、長期的な視点で見たとき、それは生徒に対しての妨害行為にしかならないのは、上で述べた通りです。教えるのが好きな人の弊害ですね。

勉強で大切なのは、答えや解き方を覚えることや、人の話をちゃんと聞くことや、言われた通りにすることではなく、汎用性の高い視点・方法論や自分に合ったやり方を自分で試行錯誤する中で見つけ出し、体系化していくことです。本来はこういったことを伝えて自立を促さなければなりません。

つまり、分からないことに出くわしたときに、何がわかっていて何がわかっていないかをはっきりさせ、わからないことは自分で教科書や専門書で調たり、自分の手と頭を使ってうんうん唸ってしこう(思考・試行)し、粘り強く考え(1週間でも2週間でも)、どうしてもわからなければ先生に自分で質問をしてヒントをもらってまた考えるということをしなければ、何の力もつかないよ、ということを伝えなければいけません。

ところが、だいぶ前の時代から学校が予備校化し、塾通いが当たり前になり、今では先生自体がマニュアル人間として育ってきています。そのため、当然生徒に対してもマニュアル人間を育てるようにしか接することができません。

要は、先生の中にも自分の手を動かして、頭をフル回転させて、泥臭く試行錯誤しながら自分なりの体系を確立したり、自分で考えて、動いて、問題を解決していったという経験をしている人が殆どいないわけですね。教える側が自分で「しこう」する人間で無い限り、生徒側もそういう人間には育つわけがないんです。

本当に生徒のことを考えているのであれば、ある時点からは「教えすぎない」ことが大切になります。

サボって教えないのではなく、教えようと思えば、非常に高度な内容(大学レベル)まで厳密かつ分かりやすく解説できる高い学力・説明力を有しているのに、成長を願ってあえて教えない先生こそが、本当に力を伸ばしてくれる先生なのです。

本当に良い先生とは、教えるとすごく分かりやすい・高度なところまで詳しく・正しく解説できるけれども、普段はすぐには教えようとせず、自分で考えたり、学んでいくための方法論を提示してくれたり、学力に応じて指導の丁寧さを調節できる先生です。

そうした先生を見つけたならば、離さないようにしましょう。勉強だけでなく、後々まで役立つ力をつけてくれるはずです。

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小野桂史
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