どんな勉強をすればよいかを考えたときに「能動」とか「自律」とか「自学」とか、そういうことを思い浮かべると思います。

結果を残している人ほどに、「授業が」とか「先生が」とか「学校が」とか「塾が」とか自分以外を主語にしません。勉強をして結果を残している人たちは、結局自分がどうするのかがキーポイントになっていることを知っているからです。だから能動・自律・自立という言葉が並ぶわけです。

小学生から高校生までの毎日の生活を考えてみると、朝起きて、学校に行き、7時間くらいの授業を受け、帰ってくるというのが流れです。そのあとは習い事をやったり、塾に行ったり、友達と遊んだり、人それぞれです。で、その学校にいる間の「授業」というのはもちろん「受動的な学習」なんです。

簡単にいうと,、受け身です。学校の先生が授業をして、それを聞いているので、完全に受け身です。もちろんこういう授業という時間も必要です。それに学校で自発的な授業はおそらく不可能です。学校でというか、集団授業だとまず不可能です。集団授業の良いところは一斉に重要なことを全生徒に伝えられることです。あの生徒には話したけど、この生徒には話していないということがなくなります。その点については非常に便利です。しかし、自発的にはできません。なぜならたくさんいる生徒の中で、どこかの生徒に合わせて進めるからです。学校の場合は大体平均点よりもちょっと下の子たちに合わせます。要するにそこが理解すれば教室にいる60%が理解していることになるからです。これはあくまでも公立の学校の話です。私立の学校は上位30%に合わせて授業をします。塾も基本的に上位30%に合わせて授業をします。

話がそれるので詳しくは書きませんが、事実です。そうすると、上位の子たちは学校の授業は簡単すぎてつまらないと感じ、下位の子たちはついていくことが難しく、つまらない授業だと感じます。そこが集団授業の問題点です。その焦点を当てている子たちしか伸びない。集団塾に行ってなかなか伸びないというのはそういう理由もあります。クラス分けもされますが、そのクラスにも偏差値の「幅」があるので、全員が合致しているわけではありません。では個別指導はどうなのかというと、これも多くの場合は受動的な授業です。

受け身の授業です。多くの場合はとしたのは、稀に能動的な授業の場合もあるからです。

能動的というのは自発的という意味です。

なぜ個別だと能動的な授業ができるのかというと、まさに「個別」だからです。例えば先生一人で3、4人を見るのであれば、その生徒を個別にみることができます。すると、その中には生徒が質問をまとめて持ってくるようなときがあります。それこそが能動的な個別指導の瞬間です。自分でまとめて、自分から質問をする。まさに自立です。これをしていかなければいけないわけです。これはよく生徒に伝えていることですが、個別指導の時間はあらかじめ自習の時などに自分で質問をまとめておいて、それの解消に使えと。でもそうならない。だから多くの場合が受け身になってしまう。その受け身を無くしたいんです。

常に自分だけの個別指導に、常に必要なだけの個別指導に、常に能動的個別指導に。

それができれば成績は間違いなく上がります。受動的な授業は学校で十分です。ただでさえ宮崎県の高校は「課外」というものがあって授業数は多すぎるのですから。

学校の授業を真剣に聞いてきてください。

ちなみにですが、学校の授業を適当に聞いている時点で成績なんて上がりません。成績の上がらない生徒はどこかで必ず手を抜いています。それが学校の授業なのか、普段の勉強なのか、それはその生徒次第ですが、手抜きを辞めないと成績は上がりません。だからもっと個別指導に特化するシステムにするんです。完全な能動的個別指導へ移行します。

中学生も高校生も全員がいくらでも個別指導を受けられる環境にします。

「いくらでも」です。

しかも能動的にです。

延岡では敵なしの状態まで学力を引き上げたいと思っています。

もともと自立型の塾なので、成果は出やすいんです。それをもっと能動的に進化させます。目指しているのは全員大学第一志望合格です。高校の第一志望ではありません。大学の第一志望に合格してもらいたいんです。

高校?そんなものは全員行くでしょうに。

目指しているものは大学です。

高校合格して塾を辞めたら、また塾に入る前の状態に一気に戻るんです。また勉強しなくなるんです。目に見えてるんです。

具体的にどうなっていくのかというと、まず、時間を定めた授業というものがほとんどなくなります。全て生徒が自分で質問に来ないと指導が始まらなくするということです。これが自発の1つ目。授業のスタートがもはや受け身ではない。自分が知りたいこと、自分がわからないことを、自分のタイミングで自分の口で質問することで個別の指導が始まるようにしていきます。
 
全て生徒本人の行動からスタートします。
さらに言うと、質問の対応時は完全に1対1です。そこで生徒に発言させるわけです。
 
それが2つ目の自発です。
 
1対1なので、その生徒に今まで何を教えてきたかも知っているわけですから、そこで会話が生まれるわけです。そして会話というだけあって、生徒も発言をする。今までにやってきたことを思い出しながら話すことができる。
 
記憶を呼び覚ますことができるわけです。
 
こうすると自発的に変えることができます。しかし、ライブ授業も数コマ残します。全てが自発的だと賢い生徒しかついて来れません。別にそうしたいわけでもありません。しかし自分で質問をするという仕組みにすると、賢い生徒もまだそこに届かない生徒も自発的には取り組めるようになる。まずは受け身の体質から自発の体質に変化させていかなければ。最初から自発的な勉強などできません。ここまで自発的に行動することについて話してきました。では受け身がなぜいけないのかという話です。
 
「指示待ち人間になるから」です。
 
今まで何人も見てきました。ひどい子は指示がないと鉛筆すら持ちません。以前、一度「うちの子に指示してくれないから英語しかやってこない」と怒っている人もいました。
自分で何も考えないですぐに「わかんない」という子もいました。そういう人たちは、「指示をくれたら」できると思っているんだと思いますし、「教えてくれたら」できると思っていることでしょう。しかしそれではできないんです。何もわかってないんです。

入試ってどういうものかご存じですか?勉強中にやっていた時と全く同じ問題は出ないんです。だから必要なことは、勉強したことを自分の頭の中で応用させることなんです。知識を応用させないとテストは解けません。では、その完全受け身体の、指示がないと英語しかやらない生徒はその知識の転用ができるのでしょうか?すぐに分かんないという生徒は知識を応用させることができるんでしょうか?
 
 答えは明白で、できるわけがない。
 
だから受け身からの脱却をしなければいけない。この受け身からの脱却が非常に難しい。

なぜなら小さいころからそうやって受け身で生きてきているからです。おそらくそこから抜けるには親元を離れるしかないと思います。どう考えても完全に受け身の生徒は親の影響ですから。親がすぐに手を貸す状態だから受け身になるんです。自分でやらせて失敗させて、それでも手を出さずに見守る忍耐があれば大丈夫です。幼い頃から転んだら立たせてあげて、自転車もずっと後ろを持ってあげて、洗濯は全自動で、たたんでタンスに入っていて、食事もいつもおなかすいたと言わなくてもそのころに出てくる。勉強も親が勝手に申し込んだ進研ゼミとかがやってくる。あれこれやりなさいと自分の意志とは関係なくやるべきものがいつも目の前にある。
素晴らしくむごい教育です。何も自分でできないし、何も自分で考えられなくなります。だから受け身の子供が出来上がる。受け身のエキスパートみたいな子ができる可能性が高くなります。小さい頃は受け身でしか生きていけないので良いのですが、徐々に自発的に切り替えていかないと。
 
だから桂塾はすべてを自発的に切り替えるということです。あまりに受け身が多くて。これからも自発的に勉強できる仕組みをベースに考えます。最終目標は大学受験なんですから、自発的に動けないと話になりません。
 
当然、社会に出てからも自発的な人の方が大成します。そう考えれば、自発的に行動できるようにすべきでしょう。
 
それはいわずもがな皆さんもわかっているはずです。

とにかく桂塾は、より能動的に、より自発的に、より自律して勉強をしていただきます。

そのための仕組みを、いま整えています。

全国でも類を見ない実績を出せる塾へと進化していきます。

投稿者プロフィール

小野桂史
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